鶴木マキ

笛野はすな先生のもと、国際カウンセラー協会に所属しています。

リーディングとは、どんなものかわかりますか?

ものにはなんでもエネルギーがあります。
そのエネルギーを、目をつぶり、見えるものから意味を解釈するものです。

グループレッスンでその精度を上げていきます。

「からだの声翻訳家®」は、笛野先生がリーディングで得たからだの不調の意味を集めたものです。

からだの不調には意味があります。その意味を意識し、考え方を改めると行動も変わってきます。
行動がかわることで、症状が軽くなります。

からだの不

記事一覧(54)

こころとは何か。

「こころ」の取り扱い方が宙ぶらりんになっている。目に見えぬこの曖昧な「こころ」という存在。人はそれがあるものとして扱う。現に好きな人の前では胸がきゅんとなる、という。「胸がきゅん」?まず「きゅん」。この一言で胸が締め付けられていることを表している。しかしなんで胸なのか?頭や腹ではなく必ず胸なのはなぜか。不思議で仕方がない。脳から指令がでてからだに走る電気信号で胸にきゅんが起きるとして、なぜ脳は胸に指令を送るのか?「こころ」というのは脳なのか?脳は記憶を蓄積しているから以前にあった感情を統計別に蓄積しているのかもしれない。発生した感情に適した感覚をからだに与えているのかもしれない。だとしたら脳で感情が発生した訳ではない。脳の役割は司令塔であって、からだに起きた状況を知らせる。感情は「意識できる感情」と「無意識の感情が」ある。それがある場所は「こころ」だろう。さて、ここで最初に戻ってしまった。「こころ」は確かに自分の中にあると誰もが思う。しかしからだの機能でそれを担う場所はない。あるとすればそれは目に見えない「たましい」なのか。そもそも「たましい」なんてあるのか?と思う人々もいるだろう。肉体は心臓と脳で生きることを決め、それぞれのからだの部位がそれぞれの仕事をして人がひとり生存している。だからそれぞれの部位が仕事を放棄したとしたら肉体の生存は難しくなる。肉体とは全く別の働きをしているのが「こころ」。私たちにあるこの感情、意識はどこにあるのかと考えるとこのからだ全体に「たましい」が溢れている気分になってくる。しかし人にはみえないからどこにあるのか分からない。少なくともこの三次元空間にはない。となると「たましい」というのは肉眼では見えない違う次元に存在していながら私たちの肉体とも重なっているといえないだろうか?こちらからは「たましい」側には行けないが、「たましい」側からこちらへは来られる(高い次元から低い次元を意識することはできるだろうし、形がないから障害がない。どこにでも行けるのではないだろうか)。そう考えると私たちは三次元と(隣り合わせの四次元に「たましいが」あるとすれば)四次元の重なるところに生きているのではないだろうか?特に眠っている間は四次元側に行きやすいのではないだろうか?ごくたまに、他者の強い念が伝わるときがある。突然沸き起こる強い感情に巻き込まれる。それは「こころ」の動きが大きすぎて時空を超えてこちら側に伝わるのではないだろうか?臨死体験をした人の話によくあるのが、知らない場所で、亡くなった知り合いと会った。これは肉体から「たましい」(あるいは意識)が抜けている状態なのではないかと思う。いつの間にか「こころ」から「たましい」に話が移ってしまった。「こころ」=「たましい」なのかといえば私は「こころ」は「たましい」の一部で、全体ではないと思っている。「こころ」というのは私という自我と自己と呼ばれるものが一緒になったものであり、「たましい」とは過去も未来も含んだ人類の記憶ごと入っているものではないだろうか。そして肉体を伴い生きることは「たましい」へ記憶をインプットしていく行為なのではないかと思う。人は自分が体験していないことでも相手の気持を相手の立場になって考える力がある。それはたましいの記憶をこころが感じ取って反応するからなのではないだろうか?

くり返し、くり返し…

  こぼれ落ちようとする、今一瞬。これから新しい人生を歩み出すのだ。 ぶどうの房の様に連なった仲間が、ぽとん、ぽとんと落ちていく。時がくるのを順番に同じ房で待っている。 私たちは同じ文様のグループごとに房を成している。ひとつの生を終えて戻る時も、異なる房に戻ることはない。 ここにいる限り不自由なことはなく、時間の概念もなく、欲望を持つこともない。何ひとつ感じることはない。なぜ私たちはこの房から離れるのか。 生身のからだを得ることで色々な感情を経験する。自分とかかわる存在とふれあい喜怒哀楽を覚える。感情はこの房にいては経験することができない。 生れ落ちて感情を経験することで私たちは変わっていく。 感情を体験し美しく透明に磨き上げられるものもいれば、黒くくすむものもいるだろう。この房に戻る時、体験した記憶は薄れていく。覚えてもう一度新たなからだを得ることはない。なんどもなんどもその繰り返しをしていく。 一度黒くくすんでしまったとしても、何度も美しく磨かれるためにこのループを繰り返す。その時間や回数は人であれば気が遠くなるほどのながさだ。 私も何度目かの生を受ける。以前のことは忘れて初めからやり直すが、自然と以前のおさらいをさせられる。そしておさらいが終わった時点までたどり着くと、そこからは新たな経験をしていく。 おさらいをする時は、一度超えた課題なので記憶になくても比較的早くそこまでたどり着く。そこから先は新たに経験することなので、辛い思いも苦しい思いも沢山するようになっている。 今回はどこまで先に進めるだろうか?私たちは決められた課題に行き着くまで生き続ける。自分でリタイアは出来ない。生まれたらもういいと言われるまではどんなに生きづらくても苦しくても生きなければならない。課題をクリアしなければ房に戻れないのだ。 逆に言えば、まだ房に戻りたくないと思っていても課題がクリアされ、これ以上先の学習を今回はいいと言われれば房に戻らなければならない。 しかし私たちにも、このループから抜ける時がくるだろう。その時は今まで生まれ変わった経験をもう一度繰り返し最後の課題を超え、光輝く透明の水晶の丸玉の様に美しく磨き上げられて最後の時を過ごす。そして最後の生を終えた後は美しい丸玉の姿は宇宙の一部となるのだ。 そう、私たちを作ったものは宇宙も作っている。宇宙のはじめを作ったもの。全てを作った存在。私たちも知りえない何か。その一部にいつか帰るために私たちは何度も生まれ直すのだ。 今回の課題は……この瞬間覚えていても、新しい肉体を得た「わたし」を意識する頃には忘れてしまう。覚えていればまわり道をしなくても、目的に向かえそうだがそれでは必要な感情を体感することなく過ごしてしまうかもしれない。 だから今こうして感じている意識は忘れ去られる。何度も繰り返したことも今回のからだで初めて体験することには初めての感情として味わうのだ。 暫く房をあとにする。ここでの全てを忘れ一瞬後には、あたらしい「生」を受けにいく。

映画「八月の物語」

すでに9月だが、良かったので書く。もともと映画好きである私。でも近頃はずっと映画鑑賞などする暇がなく、連続ドラマは録画してみるということが好きでないのでTVをつけた時間にみるか、家族がとっているものを一緒にみることぐらいなので、最初から最後まで見続けることがほぼない。この春の「おっさんずラブ」だけはしっかりとみることが出来た。私に放送時間をわすれさせなかったこの番組はだから凄いのだと思う。実際このドラマにハマってから今シーズンもドラマのチェックをしたが今回は「dele」だけはみることが出来ると思ったが、今回の回を最後10分で思い出してTVをつけた訳で、やっぱり最初から見ることが私には難しい。(今期の内容でこれが一番面白い内容だと思う)さて、今回のブログ内容はこんな私だが気に入った物語はある訳で、期待せずにみたものがたまたまとても良かったので紹介。今をときめくディーン・フジオカの幻のデビュー作だそうだ。せつない、、、、、これ一言の映画。そのせつなさは初恋の切なさ。振り返ると鮮明な青春の思い出。そのせつなさには美しい思い出しかない、一番素敵なお話しなのだと思っていい。誰もが一度は経験するであろう甘酸っぱい想い、汚れなき恋ごころといっていいだろう。相手がディーン・フジオカという甘い王子様系イケメンであるのでなおさらな訳だ。映像が美しく、流れるフェイ・ウォンの歌声。フェイ・ウォンは大好きな「恋する惑星」(1980年代)の主題歌を歌い自らも出演している。このころのフェイ・ウォンのアルバムは私も持っているのだが香港ムービーもウォン・カーウェイくらいしかみていないので、フェイ・ウォンがその後どのような音楽活動を行っていたのかしらなかった。「八月の物語」(2006年)の出だしで懐かしいフェイ・ウォンの歌声が聞こえたので見たのだが期待しないでみて、見終わったあとに「せつねーなー」となった訳である。そのせつなさの他に根底にある貧しさ。これは語られていないが彼らの関係に重要性を持っているのだと思う。それは話のところどころに言葉以外で語られている。少しネタバレになるが主人公、玉意(ユイ)は父子家庭で身長が伸びた彼女に制服を新調する金もない。一方ディーンの役、平安(ピン・アン)。洋服仕立ての見習いをしている。母に仕送りもしている。ある晩、玉意が父親に「今日は他で泊まれ」と家に入れて貰えないシーンがある。結局行く当てがなくてバイトをしている洋品店の前に立つのだが中で寝泊まりする平安に入れて貰う。夏の暑い夜、冷房などなく眠れない。優しくうちわであおいでくれる平安。「辛くても寝れば忘れられる」平安は玉意が何もいわなくても何があったのかおおかた気がついているのだろう。だから夏が終わる別れのシーンでも何も言わず別れる。誠実な男なんだな、きっと。貧しさがふたりを一緒にすることがなかった原因のひとつだと読むのは深読みだろうか?結局平安はどちらをみていたのだろう?というのを最後でなんとなく匂わせながら終わる辺りも初恋感がある。1時間ほどの小作品となっている。ディーン抜きだったとしても内容がいいから見て欲しい。

別れ

別れは突然に来るものなのだとつくづく思った。本日10月の人事異動が発表されるのだが、同部の部長が転勤する。さんざん悩まされた相手であったが、近頃は何も言わず私にたいしてあたることもなくなったなぁ、いてもいなくてもどっちでもいいやと思っていた矢先だった。なんというか、神様というのは本当に課題クリアしたらあっという間に状況を変えるんだなと思う。で、なんというか最後の最後で自分の心象が悪いままでは嫌なのか、私を呼ぶとこんなことをいう。人事部長から(こいつも同期なのだが)私のことを辞めさせる方向に持っていくよう言われたとか。なので随分意地悪な言い方をしたのもやらせたのも自分は言われたからしたのたと言いたい雰囲気。いや随分叩かれたお陰で仕事出来るようになったから今更どーでも良いのだけど。内心はそう思いつつ、いやぁ、近頃はやっと何も言われなくなってきたなと、良い関係が築けてきたと思ってたのよと言うと、何も言うことないのに怒鳴ってたらパワハラになるだろう⁉だって……。随分の言われようでしたがあれはなんだったと申すのか?と内心思ったが、もう本当にどうでもいいこと。それで、で、今でも私はクビ対象なの?と言うと、今回の評価で上げたけど(上げたって言っても普通の評価に戻っただけだけど)何も言われなかったから(ないんじゃないの?)。(私の二次考課は人事部長だから)しかしまだ気を抜かず仕事をもっと出来るようにならないとね(つまりはここからいられなくなるよ、ってことなんだと理解)なんというか、今度の部長は本社から転勤したことがないので多分上の位に上がるために何年か本社以外に行かないとならない人なので私のことはもう色々は言われてないのかもしれない。やっぱり会社は男性優位で年を取った女性は要らないのだなと思う。まぁ、うちの会社がブラック寄りなだけなのかもしれない。でもまぁ、ここにも慣れたし、仕事にも慣れたし、人にも慣れてきたし後はもっと任されることが増えてくることを思いながら出来ることをやっていくしかないのだろうなと思う。この人がいれば任せていれば黙っていてもやってくれるからとなれば、クビにしたいと思わないだろうから。少しずつこれからも出来ることを広げていこう、任される人になろう!出来ない、やらないは言わないでいようと思った。

「女、今日も仕事をする」を読んで

子供を出産する時期は限られているし、生まれたら誰かが面倒見ないとならない。すると仕事との両立は難しく悪循環になる。かくして女性は子供が手を離れて初めて自立できる機会を得る。そして私って何ができるんだろう⁉となる訳だ。継続して出産前からの仕事を続け子育てするためには、子供が丈夫であるとか、実家などのサポートが得られるか、パートナーのサポートがあるかなど、どれかが可能でないと続かない。私は実家のサポートを得ていた。子供たちは幼い頃からアレルギーが酷かったので、時間短縮で働いていてもそれだけでは無理であった。幼ければ幼いほど手がかかる。そんなことも関係しているのか、現在同じ職場で働いている派遣社員も、以前同じ階で働いていた後輩社員も子供はひとり。なかなか子育てはしんどい。大きくなれば楽なのだが、幼いうちはいくら保育園にみてもらってもからだはしんどい。しんどい上にフルタイムで働けば、毎月の保育料は高くなる。自分は時間短縮で会社で働く時間は少なくて手取りはカットされ、保育料は高く、帰宅しても休む時間は少なくからだはしんどい。やっぱり子供ふたりは要らないとなるのだろう。まぁ、これ実際途中までは私も思った。だだ私は長男がからだが弱かったので、サポートしてくれる兄弟をほしいと思ったのだった。結果としてふたりいて今は賑やかで良かった訳だど、私だって一人っ子でいいやとなったかも知れない。フルタイムで子供を抱えて働く女性は凄いなとつくづく思う。でもそのしんどさはやっぱりどこか目先のことで考えての行動だと思う。長く10年先を考えたらやっぱりしんどくても生んでみたらいいのだと思う私がいる。大人になってくるときっとお母さんをサポートしてくれるから❗話は長くなったが、この本を書かれた大瀧さんは文筆家若松英輔さんの会社の社長をしておられる。出産前の職業から離れて子育てをして、少し手が離れたとき、何かしたいと思い仕事を始めた。でもなかなかうまくいかなくて本当に普通に母になったあとに働こうと思った主婦の上手くいかなさを書いていて共感が持てる。彼女は英語が出きるというスキルがあったのでそれが取っ掛かりになっているけれど、今から子育てが少し楽になったら働きたいと思っている人に読んでもらいたい本だと思う。赤ちゃんとの貴重な時間、くたくたになってしまう時間でもあるが、再就職するためには何らかのスキルがないとならない。少しでも若いうちにスキルアップに努めよと言いたい。再就職のために何か出きること、特技を増やした方がいい。ずっとパートで働くのはパートナーが元気であれば可能だろうが、そうではなくなる可能性を考えればスキルアップを目指さないと年ばかりとっていく。低賃金で働くしかなくなる。大変でも少しでも前に進むことを考えたらいい。そのように思った。