旅する洋食器

さて前回の記事、洋食器の話が書きたかったのにそこまで行き着かず終わってしまいました。

洋食器と一緒にナイフやフォークを使用して食事をしていたメディチ家の人びと。娘たちの嫁入りの際料理人のと一緒にそれらのカラトリーも持たせます。

それまでのヨーロッパは今の様なテーブルマナーが主流ではありませんでした。

ナイフで切った肉は手づかみで食べる世界でした。

フランスのプロバンスという地方名、イタリア語で田舎を意味するものです。

しかしその頃のイタリアはマヨリカとよばれる色絵の入った焼きものでした。それは東洋で使われていた陶磁器とは違い、低い温度で焼くやわらかい焼き物でした。つまり日常で使っていると脆く壊れやすい。

ヨーロッパ人は中国の茶器や日本の伊万里焼の素晴らしさに目を見張りました。

白い磁器にあこがれたのでした。

マヨリカ焼きはオランダに渡り、東洋の磁器の絵を写します。その青い塗料で描かれた焼き物がデルフト焼きとなります。(このデルフトの食器は同じオランドの画家フェルメールの描いた庶民の絵の中に出てきます)

デルフト焼きは今でもオランダの工芸品として売られています。デルフトが庶民の食器としてヒットしている中、どうしてもヨーロッパに磁器を!と切望して権力と財力を使って素地の粘土を探します。

そしてそれを見つけたのがザクセン選帝侯アウグスト2世でした。そして開いたのが窯が今も続くマイセン。

美しい白磁を手に入れると、次は優秀な絵付師を雇います。

アウグスト王は日本や中国の磁器を写させます。それがシノワズリーと呼ばれヨーロッパにブームを起こします。

晩餐に王専用の食器セットでサーブされたゲストたちはどのように思ったでしょう?

このカオリンと呼ばれる磁器の素材の中で重要な粘土、オーストリアやドイツでも産出され広まります。

フランスはそれより遅く、その後リモージュ周辺で産出され、そこで窯を開きます。セーヴルはベルサイユの中心で花開くことになります。(このころのフランスのモードの中心はベルサイユ宮のポンパドール夫人。マリーアントワネットもセーヴルに自分の好きな菊を入れた食器を作らせたのだといいます)

その頃絵付の中心はヨーロッパの小花模様になっていきます。それはそれぞれの国の花であるなど意味があったりします。

ヨーロッパの周辺でそれぞれが国営の窯を開きますが、最後までカオリンが産出されない国がありました。

それがイギリス。イギリスは結局牛の骨の灰を混ぜて焼くことで耐久性の高い「ボーンチャイナ」を開発します。

それがウエッジウッドです。ウエッジウッドは国営ではありません。

日本の大倉陶園の様なもの。イギリス王室御用達なのです。個人で「ボーンチャイナ」を開発したジョサイア・ウエッジウッドは凄い人だったのだと思う私です。


一口に洋食器と言っても色々な思いを乗せて変化していった歴史があります。

こうして今私たちが手にする器にその思いを感じながら眺めるのもとても面白いものです。




マキ's select

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