器が好きです。
洋の東西を問わず器に歴史を感じるからです。
もともとは洋食器への興味(親しみやすいコーヒーカップ)からは始まったのですが、テーブルウェアの書籍を読んでいるうちにその歴史に魅了されました。
洋食器の完成された美しさは、西洋人たちの東洋文化への限りない羨望が根底にあり東洋の陶器を模倣することから各地方にオリジナリティをもたらしたと言えます。
テーブルウェアが西洋全域に広がった歴史は、イタリアフィレンツェのメディチ家の嫁入りから始まります。
メディチ家は銀行家から財を成し、イタリアルネッサンス期の美術史上でも大変功績のあるパトロンでした。当時のフィレンツェも商業が盛んでした。
その中で金貸し業をおこした訳ですが、この当時の簿記はまだ、単式簿記。この基礎を作ったのもこの時代。コジモ・デ・メディチはこの複式簿記で銀行業を大きくしていったとのこと。
コジモはルネッサンス文化を擁護することで、ギリシャ学問のことをよく知る人たちも擁護し、この時代の商業上、アラビア数字(現在の私達が使う1,2,3という数字です)を取り入れたことで(ここが中近東との海運商業をしていたイタリア小国の強み!)帳簿の計算が早くなったことでしょう。
私の苦手な簿記の世界ですが、こんな歴史があったんだなぁとそこだけはすーっと入ってきました(笑)
さて、もともとイタリアは小さな小国の集まりであり、水の都ベネチアは中近東からの文化を運び、(この国は共和国として栄え、ドージュとよばれる市民の代表が取り仕切る。公国が当たり前の周辺のイタリアの小国の中では珍しい法による民主主義にあった。)海運商法で財を成していました。
このベネチアという場所は異文化の香りが漂うので、宗教も自由でありました。(この辺のことは漫画や小説にもなったものがあるので、読んでみると分かりやすく面白い)
他の小国の中でもカトリックという宗教の力により、ローマ帝国は健在でありその頃の教会及び宗教絵画はローマ法王という強大なパトロンを得て素晴らしい作品を残しています。
ルネッサンス期のイタリアは芸術の世界で大きな功績を残していて、私はその時代の作品群が大変好きです。
宗教絵画というのは、文字の読めない人々に布教活動をする目的で描かれたものですが、ルネッサンスで花開いた才能ある画家のお蔭で、後の画家たちの地位というものも上がったのだと思います。
それより以前、西洋に画家としての職業がなく、それ以前に書かれた宗教画は絵の上手い僧侶が描いていました。
宗教絵画には一定の決まりごとがあり、青いドレスを着ていれば聖母マリアになり、毛皮を着ていれば洗礼者ヨハネでありという風に。文字が読めなくてもカトリック教徒であればそれは聖書の話を聞かされる中で覚えるので、絵を見ることでキリストの奇跡を目の当たりにした気持ちになったのではないでしょうか?
当時は今と違って一瞬で情報が世界中を駆け巡り時代ではなく、その場所に行ってそのものに触れるしかなく、絵画を実際のみた人々は今とは比べ物にならないほど感動したにちがいありません。
そのうち、マリア様を描くのに噂の美人を題材に描いてみたりして、その絵画力から、パトロンの命で肖像画を描き始めます。
本物の様に描くことで静物画が描かれ始め、宗教が一辺倒の絵画の世界も変わってきました。
この時代の絵画、彫刻はそれはそれは美しい。それに尽きるのではないかと思います。そしてこれらの才能を開花させるために財力をもったパトロンたち。
この時代のイタリアはヨーロッパの中心でありました。(これは単にイタリア好きな私のひいき目ではないと思うんですけど)
(全く器の話が飛びましたので次回につづけます。次回はメディチ家の嫁入りが洋食器の歴史とどうかかわっているか?というあたりから……)
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